早熟な漫画描きだった俺の現在

1 : 2021/09/07(火) 12:36:03.868 ID:Vtso6cL3a
俺は物心ついた小学生の頃から漫画を描き始めて、18才の時にその今までの時間が結実して一つの傑作短編を描いた。

このまま漫画家一直線で行くはずだったのだが、30才になった現在、俺はいまだに漫画家になれずにいる

2 : 2021/09/07(火) 12:36:51.415 ID:HTwRR38Kp
賞はとったの?
6 : 2021/09/07(火) 12:45:32.008 ID:Vtso6cL3a
>>2
18才の時のやつはとらなかったけど、その作品で担当がついて担当と一緒に作った作品が賞をとった
3 : 2021/09/07(火) 12:39:06.633 ID:CRfmcaRaM
持ち込み
コミケ
pixiv
アシスタント

どの経路にもいかなかったんじゃね?

4 : 2021/09/07(火) 12:41:23.287 ID:Vtso6cL3a
18才の時に何が起きたのか?

今ずっと考えてたんだけど、恐らく、描くことがなくなってしまったんだと思う

それまでずっと、次はこうしたい、まだこれをやってない、というものがあったから描き続けてこれた、しかし18才の時に傑作短編を描いたその時に、俺はもう描くことが尽きてしまったのではないかと

それは、それだけすごい作品を描いたということだし、その時の自分にとってとても幸福な事であったと思う
しかし、それほどの傑作を描き切ってしまったが故に、その後長い迷いの時期に入ることになったのだと思う

5 : 2021/09/07(火) 12:44:36.696 ID:Vtso6cL3a
勿論傑作といっても、あくまで「それまでの自分のキャリアの中では」という意味になるけど

ただその作品は新人賞に出して、一次選考に受かり、担当編集がつくという結果を出した

俺は担当編集の元で漫画を描き、ないものをなんとか捻り出し続け、翌年の19才の初夏に雑誌の月例賞の奨励賞を受賞した

7 : 2021/09/07(火) 12:49:35.677 ID:Vtso6cL3a
奨励賞を受賞したのが大学1年の時だったんだけど、それから俺は一切思うような作品を作ることができなくなり、大学2年の時に担当編集から「もうこれ以上続けていてもずっと同じだと思うから」と言われて交信が途絶えてしまった
作品を見せてくれれば読みはすると言われたけど、担当編集と作家志望という関係は終わってしまって、それからずっと疎遠になった
8 : 2021/09/07(火) 12:52:08.929 ID:Vtso6cL3a
担当がいなくなってからも、俺はなんとか18才の時までのような感覚を思い出したくて、漫画のアイデアを出して、無理やり作品を1〜2本描いて持ち込みをしてみた
しかし自分でも分かっていたけどかつてのような感覚に戻れることはなく、結果も箸にも棒にもかからないような結果だった
9 : 2021/09/07(火) 12:54:40.925 ID:Vtso6cL3a
かくして大学を卒業する時期になり、俺はどうしたものかと悩んで、漫画業界とは関係のない老人ホームに就職した

その時点でアシスタントになれるような画力も、フリーターをやりながら漫画家を目指すような野心も自分の中には段々なくなってきていた

10 : 2021/09/07(火) 12:58:12.101 ID:Q6s1Vtjn0
そして俺は交通事故で死んで異世界に転生した
11 : 2021/09/07(火) 12:59:33.257 ID:Vtso6cL3a
社会人になってから、俺は漫画のことを一時忘れて過ごした

初めての社会人としての生活が忙しかったし、だんだん漫画に対する関心も薄れてきていて、俺はあくせくしながら毎日働いて過ごしていた

12 : 2021/09/07(火) 13:02:22.639 ID:Vtso6cL3a
しかし、これは漫画とは無関係な事だけど、俺は仕事ができず、本当に覚えが悪くてポンコツで、毎日上司から怒られ、仕事に行きたくなくなり結局半年で老人ホームを退職した
13 : 2021/09/07(火) 13:08:01.934 ID:Vtso6cL3a
厳密に言えばもしかしたら、仕事がうまくできないということも漫画とは無関係ではないのかもしれない、18才の時に失われてしまった感覚、それがまた思い出されれば、漫画も描けるようになるし、歯車がうまく噛み合って他のこともうまくいくようになるんじゃないか、という気持ちを俺はどこかで抱えていた。
つまり、毎日の仕事がうまくいかないのも、もしかしたらやはり18才の時に傑作漫画を描いて以降の停滞した気持ちに起因しているのではないか?と

本当に微かだけどそういう気持ちも持っていた

14 : 2021/09/07(火) 13:08:47.311 ID:Q6s1Vtjn0
まわりを見渡すと一面の荒野だったので不安にかられた

俺はステータスの確認をしつつ民家を探して歩き出した

17 : 2021/09/07(火) 13:16:50.208 ID:Vtso6cL3a
>>14
見ていてくれてありがとう
君がいるから書いてられるよ
15 : 2021/09/07(火) 13:12:36.958 ID:Vtso6cL3a
老人ホームで働いていた時俺は田舎の実家から地元の就職先で働いていたのだけど、老人ホームを辞めてから、俺は僅かながら蓄えていた貯金を元手に(実家ずみでかつ金を使う用途もなかったので貯金は貯まっていた)東京に上京した

なんで上京したのか?
俺は漫画のことを常に頭の片隅に置きつつ、それでももしかしたら自分には何か別の将来の可能性があるのではないかと思い、東京で漫画以外のことを体験しようと思っていた

更に言うと地元の職場をバックれ同然で退職して、更に狭い地元のコミュニティで自分の悪評が広まっていたらやりづらいなという懸念もあり、もう地元で就職先を探すことに消極的になっていた

16 : 2021/09/07(火) 13:16:12.761 ID:Vtso6cL3a
東京に来た時、俺は23才となっていた

だんだん少しずつ将来の可能性が狭められていて、現実的に自分の生き方を決めないとまずいぞ、という不安が強くあった

それでも憧れの東京暮らしはやはり楽しかった
大学も田舎だったので、俺は憧れの東京暮らしを満喫して、渋谷に出て一日ブラブラしてみたり、やってみたかった時間を取り返すつもりで東京での時間を過ごした

18 : 2021/09/07(火) 13:22:51.759 ID:Vtso6cL3a
俺は東京で当初の計画通りそれまでやらなかった経験をした

声優志望の人たちのサークルに入ったり、ネット募集を見て東京都内で開かれている読書会や人狼のオフ会に参加してみたりした

しかし声優サークルはあいさつ程度に他の人に会ってからすぐ辞めた
だけど読書会や人狼は楽しく、幾度も通って、友人もできた

19 : 2021/09/07(火) 13:29:51.294 ID:Vtso6cL3a
俺は読書会で知り合った友人に誘われて、一緒に絵本を描いて(俺が作画担当、友人が原作担当)同人誌即売会に出品したりした

絵本の販促もかねてカフェのスペースを借りて朗読会も開いた

自分にとって漫画は徐々に意識の外に行っていたものの、何か別のものを獲得しているような、そのような自信が俺の中で少しずつ回復し始めていた

20 : 2021/09/07(火) 13:35:59.414 ID:Vtso6cL3a
その頃から俺は当時の年齢が曖昧になっていくのだけど、まだ20代前半だった

朗読会を終えた頃、俺は、俺の後に続く形で東京に上京していた俺の従兄弟に会って、2人で飲んでいた

その時従兄弟に言われた言葉が、俺のターニングポイントになった

「俺さんには、『こう!』っていうものがないんですよ。最近何か夢中になってるものってないんですか?」

俺はとてもショッキングだった

俺が何も夢中になってるものがなくて、何も目的意識なく東京に住んでいる、と思われたことがショックだった
一応俺は何かやることを探して精を出してるつもりだったのだが、側から見ると一つの夢中になれることを見出せていない人間だということのようだった

21 : 2021/09/07(火) 13:38:21.004 ID:Vtso6cL3a
俺は従兄弟から言われた言葉が悔しく、その夜俺の家で、従兄弟に俺が18才の時に描いた漫画を見せた

従兄弟は驚いた
「なんでこれネットにアップしないんですか?…面白い…王道だし…」

俺は従兄弟にここまでの経緯を話した
従兄弟は俺に「俺さんは漫画を描いた方がいいと思いますよ」と言った
俺は漫画を頑張ることにした

22 : 2021/09/07(火) 13:41:29.532 ID:Vtso6cL3a
あの時もずっと、漫画ということは俺の意識の片隅に常にあった

それでも従兄弟にはっぱをかけられて再起動した感じだけど、もしあの時従兄弟に会っていなかったら、従兄弟に漫画を見せていなかったら?
また違った日々が待っていたような気もする、いや、ないものねだりなのか…

どちらにせよ漫画を描こう、とどこかでまた奮起することは変わらなかった気がする、しかしその時きっかけとなったのは明らかに従兄弟とのその夜のことがあってからだった

23 : 2021/09/07(火) 13:43:07.947 ID:MOq3nL6P0
今日ラーメン食べに行こうと思うんだけど何味食べればいいかな?
VIPPERに問いたい
24 : 2021/09/07(火) 13:47:22.722 ID:Vtso6cL3a
俺は再び漫画を描き始めた

不思議なことに、大学時代のスランプ状態よりは、幾分か確かに描けるようにはなっていた

それは、東京に来てから色々な経験をしたり、映画や、それこそ漫画もそうだけど、数々の作品を合間に見てきたことがあり、その成果が出ているように思えた

つまり「描きたいこと」がまた自分の中に芽生えているような気がした

それでも俺は、描いた作品を持ち込むなどのことはしなかった
なぜかと言うと、元々の画力が乏しく(それはスランプと関係なくあった課題なのだが)、ペン入れまでしていると完成させるのに長大な時間がかかるため、当時の自分は一つの作品を長時間かけて完成させるより、ノートにシャーペンで、多数の作品を書き溜めるということをしていたからだった。完成作にしないと賞には出せないと思ったので、作品はどこかに発表することはなかった。
しかし従兄弟や周辺の友人には作品を見せて、概ね好評な感想を頂いていた

25 : 2021/09/07(火) 13:47:32.813 ID:Ei2dXeofr
言うて今でも170cmしかないからなぁ
26 : 2021/09/07(火) 13:50:31.644 ID:Vtso6cL3a
これまた不思議な話なんだけど、18才の頃、スランプ状態になる前は、ペン入れをするのももっと筆が乗っていて、もっと早く完成させられていたように思えた

スランプ状態になってからの自分というのは、案だけでなく作画も何か18才の頃までの自分が持っていた感覚を失ったようなところがあった

とにかく俺は、その時の自分のできるペースでノートにシャーペンで描くという形で幾つかの短編漫画を描いた

27 : 2021/09/07(火) 13:50:38.531 ID:jHSMSISqr
そうですね
28 : 2021/09/07(火) 13:53:49.911 ID:Vtso6cL3a
従兄弟の感想はというと、確かに今描いてるものも面白い、しかしそれでも俺が18才の時に描いた傑作漫画、あれの方がやはりすごく印象的だった、ということだった

それは、18才の時の傑作漫画を見せた他の友人からも同じ感想だったし、自分でも分かっていた

大学時代のスランプ期よりは確かに描けるようにはなっていたものの、全盛期を取り戻した、という感覚にはなれていなかった

全盛期を取り戻すことが正しいのか、もしくはもうあの時の自分には戻れないとして、全く新しい境地を目指すことが正しいのか、その迷いがいつも脳裏の片隅にあった

30 : 2021/09/07(火) 14:04:12.853 ID:Vtso6cL3a
東京に来てから、俺はアルバイトで生計を立てていた

地元の老人ホームで働いていた頃は、仕事ができない人として、毎日苦労をしていたものだったけど、24〜25才くらいの時に働いていたコンビニのアルバイトは、だんだん働くということに慣れてきたこともあったし、地元で働いていた老人ホームよりは業務が楽だったため、ストレスも少なく、むしろそれなりにお客さんに喜んでもらうことにやりがいを感じながら働けていた

やはり漫画が描けるようになったことともしかしたら全く無関係ではなかったのかもしれないが、漫画がまた描けるようになってきたこと、仕事がうまくこなせるようになってきたこと、それらは何か歯車が噛み合うように連動してるように自分には思えていた
東京へ上京してきたということを大きな契機として、俺は何か自信?を少しずつ取り戻していくような感覚を覚えていた

31 : 2021/09/07(火) 14:22:17.961 ID:Vtso6cL3a
25才くらいの時に、コンビニの店長から唐突に告げられた言葉

「隣に今度ライバル店舗のコンビニが建つから、人員減らすね?」

ライバル店舗が建つと間違いなく売り上げが多少は減少するはずなので、アルバイト店員を減らす、ということを唐突に告げられた

当時のアルバイト店員たちは、次の就職先を探して四苦八苦し始めた
自分も次の就職先を探すことにした

自分はやはり、今後漫画をどうしていくのかという懸念があり、そのことの相談もかねて、ハローワークへ行った
その時の自分は経験則として、困っていたら誰かに相談した方がいい、と思っていて、頼れるものならハローワークにも頼る形で、漫画のことを話した

ハローワークの職員からは漫画のスキルも活かせるということでウェブデザイナーの仕事などを勧められた
自分は、ウェブデザイナーになるにしても、ここを契機に正社員になるということが自分にとっていい選択となるのではないか、という気がしていた
自分には、世の中のことが自分はよく分かっていない、という漠然とした不安があった
その世の中に対する分からなさ、ということが、漫画を描く際に足枷になっているようにも思えていた
世の中の人が多く勤めている正社員というものを、一定期間だけでも自分も経験した方がいいのではないか、と、自分はその時以前から少しずつ思うようになっていた
つまり、正社員を選ぶということが何か漫画にとっていい作用をもたらすような気がしていた

かくして自分は正社員となった
就職先はウェブデザイナーではなく、障害児支援をする一時預かり施設のような場所(いわゆる放課後等デイサービス)を選んだ

なぜ漫画と無関係の場所を選んだかというと、やはりどちらかというと自分は作画的なスキルより漫画というものの内容を考える方に適性があると考えていたこと、そのためデザイナー職などは向かないと思った(デザイナーになるために職業訓練校に通わないといけないということが漫画を描くということに直接プラスになるかということにも疑問だった)

また、自分のこれまでやってきたこと(老人ホームへの就職、絵本制作をして朗読会を開いたこと)を振り返り、自分はやはり福祉に興味があるのではないかと思えていた
何より福祉に勤めている自分だったらイメージができていた、先のことがイメージできるか否かということを自分は大事にしていた

33 : 2021/09/07(火) 14:31:47.971 ID:Vtso6cL3a
放デイに就職した時、自分は25才

また俺は漫画が描けなくなっていた

東京に来てからあったことをヒントに作品を書き連ねていて、そしてそれが一旦途絶えたということなのかもしれない

今にして思えば、正社員となり就職しよう、と考えていたことも、東京に来てからまた描き始めた漫画が一区切りついたことが理由となっていたような気がする
漫画が描けるようになっていたことである程度踏ん切りがついたから、漫画が再び描けなくなってきたという事態を受け止めて、すんなりと漫画からまた距離を置く生活に移行していったような

自分にとって漫画はこの時、恐らくつかず離れずの関係のようなものを維持していたのだと思う

また漫画が描けるようになるまで、自分はまたインプットを求めて正社員の仕事を頑張った

34 : 2021/09/07(火) 14:33:33.693 ID:HTwRR38Kp
興味深い話だけどこういう人間も世の中いっぱいいるんだろうなあ
35 : 2021/09/07(火) 14:37:24.620 ID:Vtso6cL3a
正社員となった自分は、これまでの経験を活かして、いくつかの成果をあげた

子供たちが作る工作の作品の案を考える、工作担当に自分は当時なっていたのだが、子供たちの作った作品を、近隣のスーパーで展示する展示会を開かせていただいた
それは自分の働いていた職場ではまだ誰もやったことのなかった初めての試みで、自分は会社から大きく認められたような気持ちになった

アートセラピーに関心を持ち、講座に一年間通い、子供達の工作にアートセラピーの考え方を取り入れるようにもなった
今は退職しているが、いまだに自分のいた職場では、俺の考えた工作の一部を引き継いで、毎年同じ取り組みを行なっている

自分で言うのも憚られるけど、それだけ自分が及ぼした影響は恐らく大きかったと思う

36 : 2021/09/07(火) 14:40:57.597 ID:Vtso6cL3a
漫画のことは常に頭の片隅にあって、やはりどうしても描きたい、という気持ちは日に日に強くなっていった

それでも、大学時代や老人ホームに勤めていた頃のような悲壮感はあまりなかった

それも放デイでの仕事そのものがまあ順調にいっていたからだと思う

考えてみるに、やはり自分は、まがいなりにも何度か漫画を描き切るということの喜びを味わっていたのだと思う
何か描きたいのに思うように表出してくれないという気分が、何か、行き場のないフラストレーションとなって自分の中にいつもあった

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